2011年5月31日火曜日

僧形八幡神坐像 平安時代 鳥海青児 旧蔵 個人蔵

世田谷美術館 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」 の展覧会、かみさま のセクション。

僧形八幡神坐像 平安時代 鳥海青児 旧蔵 個人蔵

鳥海青児(ちょうかい せいじ、1902年-1972年)は、神奈川県平塚市出身の洋画家。
茶を基調にした作品は、日本の油彩画の一典型ともいわれる。

鳥海青児の旧蔵と伝えられる僧形八幡神坐像も、民間、個人像の神像として、立派なもののひとつだろう。

2011年5月30日月曜日

重要文化財 女神坐像 平安時代 12C 滋賀 建部大社

世田谷美術館 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」 の展覧会、かみさま のセクション。

滋賀の建部大社は、その前を、何度なく通過していた。だが境内に入り、参詣したことはない。

重要文化財 女神坐像 平安時代 12C。こんなものが、滋賀 建部大社にはあったのか。

神像は仏像と違い、渡来した借り物の造型でない、何かがある。何だかわからないけど、神像、かみさま としかいいようのないもの。

仏教伝来で、その前の信仰はどうなったのだろう。その流れが、ここに今も残っているようにも思える。

2011年5月27日金曜日

滋賀 大皇器神社 の面

世田谷美術館 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」 の展覧会、かみさま のセクション。

滋賀 大皇器神社 の面が2つ。

翁と延命冠者。室町時代の面だが、白洲正子は木地師の作としている。
木の美しさ、木の不気味さ、木地師は真摯に向き合ったのだろうと言う。
かみさま のセクションに、滋賀 大皇器神社の翁と延命冠者の面。
神像も、この延長にあって、生み出されたものだろう・・と、白洲正子はしている。

無学な僕には、何ともコメントできないが、面や神像には、そうかな・・と思わせる同じような匂いはあると思う。

2011年5月26日木曜日

女神像 平安時代 白洲正子旧蔵 個人蔵

世田谷美術館 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」 の展覧会、かみさま のセクション。

女神像 平安時代 白洲正子旧蔵 個人蔵

木造の神像に、白洲正子は特別な想いがあるように感じるのだ。
特別・・といったが、それら、彼女が注目する木造の神像は、どれも魅力的だ。

木に宿る神の力などを、ハッキリ感じ取れる特殊な能力などない凡人のオレだが、女神像 平安時代 白洲正子旧蔵 個人蔵は、何とも、好ましい。

2011年5月25日水曜日

世田谷美術館 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」 の展覧会、自然信仰のセクション。

月というのは、日本人にとって、特別なものだったのだろうか。今回の世田谷美術館 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」 の展覧会を見て、そんなことを思う。

秋野に月文様肩衣 江戸時代 茂山千五郎 氏 所蔵

狂言の肩衣というか、衣装全般、染物についての知識や興味がないので、なんともなんだが。

2011年5月24日火曜日

秋の月

世田谷美術館 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」 の展覧会、自然信仰のセクション。

黒漆秋草蒔絵容器、室町時代、個人像

室町というけど、黒漆の感じは、もっと時代がありそうな強さがある。

白洲正子が、大沢の池に舟を浮かべて月を待ったとの話。
子供心に、阿弥陀様のようだ・・と思ったとのこと。

う~ん・・
やはり、白洲正子という方は、子供のときから、感性が・・w

おれは、そんな殊勝なことは、思ったことがないw

2011年5月23日月曜日

月と野

世田谷美術館 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」 の展覧会、自然信仰のセクション。

武蔵野という単語には、郷愁を感じてしまう。まあ、産まれたのは東京の23区で、それでも、小学生の頃には、武蔵野という言葉に馴染みを感じていた。

武蔵野の路という、東京都が定めた道も歩いてはみた。



白洲正子のいう、地平線に没する満月。
まだそんな景色に出会ったことがない。どこか、そんなもの見れる場所、今でもあるんだろうか。

2011年5月22日日曜日

那智の滝

世田谷美術館 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」 の展覧会、自然信仰のセクション。

那智の滝。

那智の滝を描いた作品は数々ある。絵を描く人々に深い感動を与えてきたのだろう。

いつか行きたい、那智の滝はそういう場所なのだが、いまだ、果たせていない。

白洲正子の文章では、「瀧に思う」「縁あって」「熊野詣」「私の古寺巡礼」

2011年5月19日木曜日

相模 大山

神奈川 霊山寺 宝城坊 薬師三尊 像

世田谷美術館 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」 の展覧会、自然信仰のセクション。

神奈川 霊山寺 宝城坊 薬師三尊 像は、桂の鉈彫だ。

白洲正子の文章は、鉈彫は未完成と思われることもあるが、未完成などとは思えない静かなバランスと調和、セザンヌの絵の白い部分・・と表現した

普段は見れない秘仏である。

2011年5月18日水曜日

三上山 御神山

滋賀 御上神社 相撲人形

世田谷美術館 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」 の展覧会、自然信仰のセクション。奈良の三輪山の次は、滋賀の三上山 御神山だ。
白洲正子は近江の地には、いろいろな著書で、思いや考察を寄せていた。日本海側からの文化や文明のルートの途上にあった、あるいは、滋賀、近江の地に勢力をもった。
滋賀の三上山 御神山は、奈良の三輪山に匹敵するとの意見を書かれている。
それは学問ではなく、風景が景色が、それを教えてくれる・・・なんてことを言い切って許されるのは、白洲正子だからこそ・・なんだが。

2011年5月17日火曜日

三輪山 奈良 大神神社 三輪山絵図

世田谷美術館 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」 の展覧会、自然信仰のセクション。富士山の次は、奈良の三輪山だ。
山そのものが御神体で、願い出れば登らせてもらえるのだが、あまりいい加減な観光客姿で登るのは、なにやら気がひけて、未だ果たしていない。数度、麓までは行っているのだが。

2011年5月16日月曜日

富士山 富士図扇面絵

世田谷美術館 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」 の展覧会、自然信仰というものの中で、白洲正子 の富士山についての想いは、特別なもののようだ。
「母なる富士」「白洲正子自伝」
御殿場の別荘に毎週のように行き、富士をみて育った。8歳までの経験で、根本的な性格が形作られる。うん・・でもね、そうだと言われてもね、いまさらどうしょもないんだけどさ。


さて、作品である。江戸時代の富士図扇面絵 軸装。
白洲正子 氏の骨董についての写真集で見たことがある気がする。旧蔵で、現在は個人蔵だそうだ。富士をテーマにした出品は、他にもあって力強いのだが、好き嫌いでいえば、やはりこいつだなw

2011年5月14日土曜日

白洲正子 神と仏、自然への祈り

白洲正子 神と仏、自然への祈り 会場限定 公式図録を世田谷美術館で買い求めた。2500円
白洲正子 神と仏、自然への祈り の展覧会は、世田谷美術館の他、滋賀県立美術館、愛媛県立美術館を回っている。

白洲正子 神と仏、自然への祈り の図録だが、解説や 白洲正子の文章を交える構成は、なかなかいいのだが、ここまで細かく分冊にする必要はあったのだろうか・・と素朴に思う。正直いって扱いにくいのだ。

やはり図録は、1.5センチ程度の厚みの、普通の図録であってくれるほうが、助かる。慣れの問題だろうけど、案外重要だ。図録は、今回だけの買い求める人のほうが少ないんだから。

2011年5月12日木曜日

世田谷美術館 傘立て

世田谷美術館 傘立
世田谷美術館の傘立。まあ、どうでもいいといえば、どうでもいいんだけど。
美術館って、建築としても、ある程度のクオリティが必要で、こんな細かいところのデザイナの感性が面白かったりする。

2011年5月11日水曜日

世田谷美術館 半旗

世田谷美術館 半旗
世田谷美術館の正面には、半旗。国旗と世田谷区の旗・・かな?
説明は何もないけれど、東北、東日本大震災の犠牲者を悼んで・・だと思う。

2011年5月10日火曜日

世田谷美術館、白洲正子 幟

世田谷美術館、白洲正子 幟
砧公園にあった世田谷美術館、白洲正子の企画展の幟。何だかな、これ。

2011年5月5日木曜日

世田谷美術館、白洲正子 看板 ポスター

世田谷美術館、白洲正子  看板 ポスター
砧公園にあった世田谷美術館、白洲正子の 看板というかポスターというか。
あんまり好きじゃないなぁ・・この看板のデザイン。

2011年5月4日水曜日

砧公園と世田谷美術館

砧公園 世田谷美術館 入口
世田谷美術館へのバスを降りれば、砧公園の入り口だ。
季節のいい時は、砧公園も、世田谷美術館に行くときの楽しみのひとつだ。

大事だと思うんだよ、美術館へのアプローチって。世田谷美術館はその面でも、恵まれているよなぁ。

2011年5月3日火曜日

世田谷美術館 用賀駅 バスの乗り場

世田谷美術館 用賀駅 バスの乗り場 エレベーター
世田谷美術館への用賀駅のバスの乗り場は、地下からのエレベーターの近く、1番乗り場だ。節電のご時世ではあるが、足の不自由な人もいるだろう。エスカレーターよりも、このエレベーターで、上がってくるのが、一番楽だろう。